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佐久間智子さんの講演2(12月30日(月))
MN女史のコンサート(12月17日(月))
サンアロー化成懇親会(11月11日(日))
佐久間 智子先生の講演会(10月21日(日))
農家の話 (10月13日(土))






12月30日(日)

「佐久間智子さんの講演2」  12月8日に再び佐久間先生の講演を聴きに行ってきた。七時くらいから 一時間半、まったくのノンストップ(息継ぎしているのかと思うくらい)かつ 猛烈な勢いで話続けた佐久間先生の講演を聞いて感動しない人はいないと思 う。  前回佐久間先生が話していたのは世界の食糧問題についてであったが、今 回は水問題について説明していただいた。水問題というのは地球上の水が減 っているというわけではない。水自体は減らないが、人間が利用できる水が 減ってきているということである。これは地球上で森林など保水力のある地 形が次第に減っていき、それに伴って雨が降らなくなったり、雨が降っても そのまま海に流れてしまうことが一因としてある。また、ヒマラヤの氷山な どでは氷が夏場徐徐に溶けることによって水を確保していたが、氷が近年急 激に溶けてしまい、使える水が失われたばかりか水害となってしまった。さ らに、灌漑が拡大し、地下水がどんどん引き上げられているために、世界中 で次第に地下水が減少してきていて、地下深くの塩分濃度の高い水しかなく なってきている。現在、地球上の利用可能な水の50%を人類が利用してい るらしい。その水でさえ減ってきている今、水は石油に代わって大きな争い の種になると考えられている。  その一方で水道事業の民営化・自由化がWTOで話し合われていて、また現実 に進行している。WTOは一部でも何か独占的なものがあればそれを自由化して いこうという趣向の団体であるが、水もそれに漏れず自由化に向けて動いて いる。これにより水は売買の対象となってきた。しかし、水というのはたと えば一匹の病原菌が入り込むと何人もの人の死を招くような特殊な物・サー ビスである。これを民営化・自由化することによってあらゆる弊害が起こる かもしれない。これらについて今回の講演では話していた。  従来水というものは慣習による所有、すなわち伝統的に地域の水を利用し ていた人がその水を使えるのだという、権利関係があまりはっきりしない所 有の仕方をしていた。例外としてダム建設をする時などはその地域の人々に 保障という形で水の所有権を売買した。すなわち、政府が地元住民から水を 買い取り、都市住民に供給する権利を獲得したということである。こういっ たことは飽くまでも限定的なことであったが、水が次第に希少になってくる につれて水は経済財であり、売買の対象として見られるようになってきた。 また、中国などでは小麦が不作になったときに、農家への補償金の代わりに 農家が水を売る権利を認めるようになってきた。そのように水の所有権をは っきりさせないと国際河川などでは上流の国が水を使いすぎてしまうなどと いったことが起こる。しかし、それだけでは解決できない水の問題が多々あ る。  たとえば、パキスタンでは政治的に権力をもっている上流地域が水を灌漑 用水として利用しすぎて、下流にあまり水がなくなってきてしまっている。 それだけではなく、下流で水量が減り、水圧が下がったことにより海水が逆 流してきて、塩分濃度の高い水となってしまう。これにより下流部では水が 利用できなくなっている。また、アルゼンチンのラプラタ川では上流で輸出 用の農業を行っているために、河川に農薬が流れ、下流での漁業が致命的な ダメージを受けている。こういった水の分配の不均衡は以下で述べるように 世界銀行の政策として起こることもある。以下では講演の一つのテーマであ る水道の民営化について述べる。  現在、発展途上国では先進国や世界銀行などへの債務が蓄積していて、予 算を水道の整備などに回せない状況が続いている。それゆえ水道の漏水率が 高いなど、人々がどうしても必要な水を飲むことができないでいる。そうい ったことに対して、世界開発銀行などがどうやって援助していこうかと考え たときに、金銭を持っている民間企業を取り組むしかないと考えるようにな った。というのは援助にも金がいるのでどうしてもその調達が必要となり、 国際機関というのは予算が足りていなく、民間の力を借りざるを得ないので ある。しかし民間は営利団体なので金もうけできる勝算がなければそういっ た事業に手を貸すことはない。そこで民間企業がもうかる仕組みを世界開発 銀行が作り、発展途上国の水関連のインフラ整備に参加させようという流れ が1992年のダブリン宣言以来続いている。これは水は”公共財”ではなく ”経済財”であるという考えにも基づいている。前者は水を得ることは人が もっている基本的人権であるという見方であるが、そう考えた結果水の奪い 合いなどのいざこざが起こるので”経済財”としてはっきり所有する権利を 規定しようという考えが後者である。しかし、こうして民間企業が人間にと って必需品である水を取り扱うようになったときに何が起こるのか。  世界開発銀行は民営化する目的として世界の水がいきわたっていない人々 に水を提供することだとしている。そして目標値として2015年までに衛生的 な水にアクセスできていない人々を15億人減らすことを挙げている。しかし、 その大義とは裏腹に実際に民営化して新規に水道が接続した人口は15年間で 600万人であり、全くやる気を感じさせない。さらにこの世界開発銀行は先進 国の大手民間企業が発展途上国で行う暴挙の支援を結果的にしている形にさ えなってしまっている。というのは、第三回世界水フォーラム(2003年)の頃 には民間企業が発展途上国での水道事業によりあまり利潤を得られないとし てこれらから撤退しようとしていたのに対して、どうしてもこれをつなぎと めようとして民間企業がどのようにしても儲かるような仕組みを一層強化し ようとしたのである。実際に発展途上国での水道事業などは利用者が貧しい こともあり、あまりもうかるものではない。それでも水道事業によりかかる 経費をすべて消費者に負担させ(フルコスト・リカバリーといい、第二回世 界水フォーラム(2000年)にフルコスト・プライシング政策が提言されたこと に由来している)、さらに仮に民間企業が何らかの事情で事業から撤退する ことがあった場合は事業により得られるはずだった利益を途上国に要求する ことができるという利潤を補償した契約書を発展途上国に技術支援として提 供している。逆に途上国は民間企業から被った被害を訴えることができる法 律は定められていない。このように民間企業に大変有利な条件を世界開発銀 行が設定して、水道事業を整えようとしているのである。  しかし、民間企業は契約通りに事業を行うことが少ない。利潤目的になり、 漏水率を改善するという最初の契約も達成せず、貧困層の住民へのインフラ 整備は契約ではないとして富裕層にしかサービスを提供しなかったりする。 このことは途上国の水事情をますます悪くさせることである。というのは以 前は国が水道事業に取り組んでいたため、もちろん負債を抱えていて高漏水 率など決して整備は完全ではなかったのだが、それでも都市部で多めに利益 をだしてそれを貧困層の多い地方の赤字に充てるなどといった内部補助を行 うことができた。しかし都市部だけが民間企業にゆだねられるためにこうい った内部補助を行うことができなくなり、地方は公共団体が赤字で運営せざ るをえなくなっている。さらに、民間企業は事業のコストを削減する為に雇 用を減らすためにメンテナンスなどが不十分となり、漏水率は全くよくなら ない。このように杜撰な管理はこうした民間企業の水道事業というのはその 地域においてはライバルがいるはずもなく独占的に運営できるために起こる。 こういった地域独占性が強いものは公共がやるべきであり、それゆえ水道事 業も公共のものだったのだが、昨今の流れはそれを砕くものである。  さらにひどいことには水道料金の値上げなどを企業の都合で行うようになる ことである。たとえばアジア通貨危機が起こった際、アジア通貨が低迷したた めに外貨、すなわち自国の通貨を持ち帰らなければ儲からない先進国の民間企 業はより多くのアジア通貨を稼がなければならなくなり、水道料金を値上げし たのである。また、高い水道料金に対して未払いになると水道が止められてし まうだけでなく、それによりコレラなどの病気が発生したり、暴動が起きた場 合は民間企業はすべての責任を政府の運営能力不足ということで押しつけて母 国に撤退するのである。あるいは途上国があまりに酷い事業に見切りをつける こともある???そういった際に民間企業の都合により撤退したのに、その後 契約により得られるはずだった利潤の補償を発展途上国に要求することができ るのだ。フランスの大手水企業であるスエズなどは自社のグループ企業にフィ リピンの水道事業をやらせて、自動車やコンピュータを大量に買わせていた。 その後この民間企業がフィリピンから撤退したとき、この自動車やコンピュー タの負債をフィリピン政府が負うこととなった。それだけでなくスエズは撤退 したことによる利潤の補償をフィリピンに要求した。  他の例を挙げるとベクトル社という民間企業がボリビアのコチャンバンバと いうところで水道事業を行い、失敗して多数の病人・死者を出した。ベクトル 社はその後ボリビアから撤退、ボリビアに利潤補償を求める訴訟を起こした。 しかしこれは余りに酷いということで世界中で反対運動・キャンペーンが起こ り、最終的にボリビア政府はわずか数セントをベクトル社に支払うことで決着 した。しかし事実上ボリビア政府が裁判に負けたということになり、仮に反対 運動が起こらなければベクトル社が2.5億ドルをボリビアにはらわさせていた ことになる。後の話ではベクトル社は使用した電気の電気代も支払わずに撤退 していたようだ。  こういった民間企業の横暴が世界開発銀行により後押しされることになって いる。こういった現状を何とかするべきだと考えられる。対策として
   人間というのは意図して完全なものになることはできない。いろいろな見方を すれば同じ人が違った性質をもって見える。意識的に善良な市民となろうとして いる部分と、善良な市民であるために市内よりも外の世界が見えず、いつの間に か加害者になっている部分という見方もあるのではないか。自分たちが社会に守 られていて、お金を得たくなればバイトして、お金があれば街にあふれている食 べ物を買うことがいくらでもできるような場所で生きている。だからその中にい ればきっと安全である。しかしこの日本で生きているだけ他には迷惑をかけてい ないなどとは決して言えない。いま生きている時間がそのたびに誰かを傷つけて いる可能性を持っている。自分が世界のありとあらゆるものを授かって生きてい るということを忘れてはいけないし、過分に授かっているという事実から目をそ らしてはいけないのだと思う。  科学者になるにしても自分の出した成果をそのまま社会に委ねるだけが科学者 の仕事なのか。たとえば水を引いて輸出できるような技術ができたときもそれが もたらす影響を考えることもまた科学者の義務であるはずだ。今の社会はまった く不完全であって、それは不景気だからとかそういう話ではない。

12月17日(月)

「MN女史コンサート」 16日の東京国際フォーラムに行ってきました。感動が冷めぬ内に書き残したいと思います! MNのコンサートは夜会を含めこれで4回目でした。 2001年期末試験の最中に行ったコンサート、 2002年親を連れて行って号泣したウィンターガーデン、 2004年何回で正直あまり理解できなかった24時着00時発、そして今回のコンサートです。 しかし、今回はウィンターガーデンでみゆきさん扮する犬が六花を 別アレンジで歌ったときくらいの感動を受けてしまい、歌を聴いて久々になきました。 今回のMNは6年前のコンサートよりもずっとのどの調子がいいのかなと感じましたし、 しゃべりのほうもかなり饒舌で楽しそう、というか楽しませてくれました。 そのMCでは拓郎さんのファンのことを"体力系で危険"といっていたりして、 曲解すれば差別ともいえるようなことまで言ってしまうくらいに テンションが高かったようです。 また、お客さんのほうも大笑いで、特に声の響く人の笑い声が会場で目立っていたときに、 みゆきさんがすっと"年配の方がいらしているのね"?的なことを言っていました。 やはり人によっては後ろ向きに捕らえてしまって"恥ずかしい"と感じるかもしれない言い方 だなと響きました。 もちろんそんな大声で笑う人なのでそんな気にするようなことではないかもしれませんが。 言いたいのはMNが失言をしたということでは決してなくて、 もしかしたらそういった何気ない言葉が人を傷つけるかもしれなくて、 しかしMNもそれをわかっていて そんな気はなくてもつい傷つけてしまったという経験がたくさんある。 そんな生身の人としてのMNが歌でしか云えないこととして出てきた言葉が "ファイトォ"なのであるということです。 だからそういった言葉尻うんぬんよりもMNがその人並み外れた声量・声圧で 人を元気付けようとする姿勢に打たれました。 それは普段まったく理想的で理知的なひとが歌で正義を歌うということとは違っていて、 人情や情念をもった生身の人が葛藤の中で叫んでいるということなのだと感じたためだと思います。 蕎麦屋にもそういったニュアンスを感じました。 それがあって最後に言っていた "同じ時代に 生まれてくれて ありがとう"という言葉には本当にずごーんとなりました。 同じ時代を生きているすべての人・ものが自分の味方であるわけではない。 ほしいものを妨害する人だっているだろうし、ぼろぼろに傷つける人もいるでしょう。 そのときにそういう人が生きているからこそ今の時代というものがあり、時代を生きる自分の人生がある。 そう考えたときに同時代に生きているすべてのものに、同じ時代に生まれてくれて、 同じ時代を作ってくれている、共演者への感謝のような気持ちをこめることができるというのは とても素敵なことだなと思ったのです。 そして、それこそが無理のない他者への感謝・関心となるのではないかと思いました。 その気持ちを感じたときにここ一番の涙を流してしまいました。 昨日のMNはいつにもまして格好良かった。 途中何分かで前から2列目のお客さんが遅れてきたときに"あらいらっしゃい"といったその声であったり、 アンコールの最後に"いよいよこれが用意した最後の曲となってしまいました"?といったときの、 ほかのMCのときとはぜんぜん違った表情の声などの並ならぬ色っぽさにひかれてしまいました。 あなたでなければ、ボディ・トークなど、CDできくときよりもずっと好きになった曲、 ファイト、地上の星、蕎麦屋などCDと違った雰囲気で圧倒された曲、 すべてがライブならではで本当に来てよかったと心から思えました。 今年の最後にこんな心を洗われる体験をできてよかったと思います。 ありがとうございました。

11月11日(日)

「サンアロー化成懇親会」  昨日、夏休みにインターンシップに行ったサンアロー化成の 懇親会があった。 最近では携帯キーシートのメーカーとなっているが、 もともとは世界で初めて導電性ラバーの量産を始めた企業で、 現在でもキーシートでは世界シェア20%と、要するに凄い企業である。 企業としてはすでに創業半世紀を迎えるという。 そんなこんなで多忙であるはずの社長がインターンの時も、そして昨日も わざわざ来てくださって、しかも酒の席にまで来てくれた。 そんな会社そうそうない。 せっかくの機会なのでここに書き残そうと思う。 その前に一言。会社を選ぶときに大企業にはいって社長の言葉を借りると "大を選んで大を為す"という可能性に賭けることもいい。 大企業の方が聞こえもよく、保険も入りやすく、給料もいい。 ただ、サンアローのようなそれなりに大きいくらいの会社にも 当然魅力がある。 第一にサンアローの社員はがつがつしていない。もちろん学生に対して だからということもあるかもしれないが、やりたいことをやらさせてくれる 雰囲気がある。やる気を見せれば入社1年目から海外にいくことになる。 (サンアローは携帯最大手NOKIAと取引してるので海外での事業所も多い) 今後古い産業というのはどんどん海外に出て行ってしまうと思う。 かつて日本は勃興させてきた鉄鋼や三種の神器が 今や日本の主力産業ではないように、 自動車や家電だっていつまで日本で製造されていくかわからない。 だから従来の大手と同じくらい、 これから伸びてくる新産業の会社というのは有望ではないかと 個人的に思う。まぁ具体的にどこがというわけではないけれど。 それとメーカーの魅力について言われた。 メーカに入社すると自分がプロジェクトを担当した製品が 実際に世界の人々に使われて、映画に出てきたりする。 それを見たときにすごく光栄に感じて嬉しくなるという。 それはモノづくりの精神なのだなぁと感じた。
さて、社長の話だが、昨日は社長だけでなく、専務の方も話してくださった。 "モノづくりの精神"についてだった。 日本の総合経済力は1991年1位であった。 しかしその後は1996年まで3位を維持していたのが急落し、 2002年には30位と、中年の危機を迎えた。 (2006年16位、どこ調べかは聞き逃した) 中年の危機―日本はもうだめだとみんながあきらめの境地になって このままを維持できればいいという気風になってきているらしい。 ……(途中)
日本の経済が低迷しているという事実はとても悲しい気がした。 というのはぜいたくな生活ができなくなる云々ではなく、 もっと根本的に日本の魅力が薄まる気がした為である。 今の日本にいて何がいいかといえば消去法でほとんど技術力の高さ、 経済性ということになると思う。 今の日本は文化にしても教育にしても農業にしても荒んでいる。 ただその経済力の発展の為にすべて犠牲にしてきた結果である気がする。 その日本が今やその経済力ですら将来性がない時代になっている。 今後日本がどんどん後ずさりしたとしても、 経済貧国にまではならないかもしれない。 ただ、今のような勢いがなくなった日本には、国内の円はあっても 外貨を稼げなくなり最悪食料が手に入らない時代が来るかもしれない。 そうしたら荒んでいる現実を見直さなければ リアルに何も残らない国になってしまう。 何だかんだ言っても今の日本に生まれたから勉強して教養も身につけられたし、 世界の最新技術が身近にある環境の中で ニヒリズム的なクールを装いかっこつけて生きてこられたのだと思う。 もちろん経済が停滞するとそういった生き方が一転して 世界から取り残された焦りに変わることはないけれど ただ今まで感じてきた安心感はなくなってしまう。 それがいいことか悪いことはわからないが、 他は何も変わらず経済だけさびれていくのであれば "日本に生まれて最悪だ"と思う人も増えてしまうのではないか。 話を聞いてそんな怖さを感じていた。 そして社長の"あるものに甘えるのではなく、自分で何か作る" という言葉はそんな怖さを和らげてくれるようだった。 サンアローは社長の魅力が違う。 もちろんどこの企業に行っても社長はすごい人であると思う。 やはりネームバリューなども大切かもしれないが、 先輩から学べること、自分が活躍できるところという視点から見ても 自分の為になるといえる企業を選ぶことが大切かと思った。 働きながら人生観や人間性が変わっていくなら素敵なことである。 ♪変わりゆけ、変わりゆけ もっと好きになれ(最後の女神)

10月21日(日)

「佐久間 智子先生の講演」  佐久間智子先生の講演会に行ってきた。  「経済のグローバル化とオルタナティブ〜食料から考える〜」 なるタイトルであった。 講演の内容は下の本に似ていて (佐久間先生自身がそう仰っていたわけではないが) 一度読んでみると大変勉強になるかと思う。 スーザン・ジョージさん「なぜ世界の半分が飢えるのか」 ジャン・ジグレール「世界の半分が飢えるのはなぜ」 佐久間さんの講演は非常に壮絶であった。  個人的に思うのが、人間には知らないと恥ずかしいことがあって、  それは分数の掛け算とか速単1500語ではなく、また、流行語でもない。  もちろんそういうものはスキルというか行動する上で必要かもしれない。  ただ、それは道具でしかなく、若い人が本当は知らないといけないことは ”自分たちの暮らしが誰に影響を及ぼし”ていて、 ”自分たちの食事がどこから出てきているのか”ではないか?  それを知らずに自分たちは何を基準にものを選び、 何を基準に発言することができるのか?  自分がどこの土台で生きているのか、なぜ今の暮らしが成立しているのか、 それを完全に知ることはできないし、知ったと思って生きることは 人を誤らせるかもしれない。ただ、知ろうとしないで暮らすことは 自分のことが全く見えていない動物園のホモ・サピエンスのようである。 大学まで出させてもらい、”消費”という意思表明をしていく人間である以上、 いつまでも与えられた餌だけを食べるホモ・サピエンスではいけないのだと思う。    だから佐久間先生の講演を書き残しておこうかと思う。   (以下佐久間先生講演要約)
「@日本や後進国の主食・消費はアメリカの政策・戦略的操作によって
操られてきた。それは現在に至るまで続くことであり、
その結果日本の食糧自給というのは壊滅的な状況である。
 A一転してアメリカは今後とうもろこし生産の半分を
国内でのバイオエタノール生産に向けるようになるという。
この状況で日本だけでなく、外貨のない後進国では壊滅的な
状況に追いやられると予想される。
 Bまた、現状でも日本の食料輸入が海外の後進国の状況を
圧迫している。今後アメリカが食料輸出を減らし、輸入飼料などが
高騰したとき、日本がそれを買い続けたとしても
その行動がますます後進国の状況を悪化させることは明白である。
 Cまた、環境問題や現在の市民の状況を考えても、
現在のアグリビジネスには問題が多い。
 このことについての講演であった。

@まず、日本の食糧自給が低下してきた経緯についてである。
 戦前、日本の農業は現在のように米作、野菜、畜産をそれぞれ特化して行う
ようなものではなかった。田圃のあぜを利用して大豆を植え、また、余剰の
植物をヤギに食べさせる。また、米麦二毛作で、狭い土地をうまく利用して
小規模ながらそこだけで農家が自給できる多様な生産をしていた。
昔から大豆を農家で作っていたために日本の食事には大豆製品を使ったものが
多いのである(現在は大豆はほとんど輸入品)。
 戦後日本に入ってきたアメリカがおこなった政策は日本が食料的に
アメリカに依存するようにしようというものであった。食の植民地化である。
最初チャリティーで行っていた食糧提供であったが、1954年余剰農産物購入協定
ではアメリカの余った小麦など(当時アメリカは小麦生産量の半分を在庫として
余らせていた。)を日本に売り、日本がそれでもうけた利益を用いて次のことをする
ようにされた。まず、アメリカの武器を購入する、次にアメリカ食化キャンぺーン
を行う。すなわち完全にアメリカの政策であった。
また、当時アメリカ食を街角で教えるキッチンカーなるものが日本で行われ、
(当時はテレビもあまりなく、主婦にとっては娯楽の時間でもあった)
急激にアメリカ食が広まった。
また、当時流行していた脚気の原因が精白米にあるという説が流れ、
米食離れが進んだ。
これを受けてパンをはじめとした洋食化が進んだ。特にパンは日本では生産が難しい
強力粉をつかうものでもあり、アメリカに依存せざるをえなくなってきた。

その後、1961年に政府は農業基本法を制定し、農業の大規模化に乗り出した。
これは従来田圃のあぜでつくっていた大豆の生産をやめ、また、農家一戸にヤギ一頭
という風習も捨て、効率的に機械化を進めたということである。
これにより大豆の生産が下がった。
また、政府はヤギではなく、特化した畜産に力を入れ始めた。
これらはアメリカの政策を助長することになる。
というより農業基本法の制定にアメリカの思惑が絡んでいたといわれる。
というのは大豆生産をやめることで日本食によくつかわれる大豆をアメリカから輸入
するようになる、
畜産が盛んになることで安い飼料(トウモロコシや大麦)をアメリカから
輸入するようになる
といった具合に、日本の依存度が高まっていった。
現在では大豆の7割、トウモロコシの95%をアメリカから輸入している。
また、畜産にしても肉そのものは国内自給率が5割超程度なのだが、
飼料を含めてカロリーベースで考えると1割にも満たない。
このように穀物消費量は人間用よりも家畜用の物の方がはるかに多いので
飼料を依存している日本の自給率は下がらざるをえない。

そのすぐ9年後、1970年、
政府は作付を拡大してきた田んぼでの減反を命じるようになった。
作付の拡大に励んできて、さぁこれから売っていくぞと思っていた日本の農家は
見事に政府に裏切られた形である。
しかし、当時日本のコメは農協におろ差なけらばいけないと法的に決められていて、
農家としては補助金をもらうためにも減反を守らざるを得なかった。
現在では農業基本法は1999年食料・農業・農村基本法に変わった。
この名前を見てもわかるように消費者(売り手?)>産業としての農業>農家
という順番であり、一番元となっている農家が一番利益が少ない構造になっている。
農家を応援しようと思ってもそうできない、ほかの所にお金が回ってしまう状況が
作られている。また、農家の差別化という意味では、
有機野菜を推奨している有機JAS認定がなければ有機野菜とは呼べないという制度が
できたのだが、これとて認定を受けるのに非常に高い費用がかかり、
有機JAS認定を実際に受けているのは9割方輸入品である。
こういった状況では国内農業は頭打ちである。
(有機野菜の話でいえば国内で作った農薬使用野菜の方が海外の有機野菜よりも
輸送エネルギーを加味して考えると環境負荷自体は少ないという人もいる。)

このようにして日本が食料を輸入に依存する形態が作られていった。

これに対して、全く同じことがアフリカサハラ以南の国々でも行われている。
キャッサバ、トウモロコシなどを主食としていた人々のところに、
アメリカからの安い小麦が入ってくると、アフリカの人々としては
小麦を食べる方向に進んでいく。すると、主食の大転換が起こり、
サハラ以南の国々もまたアメリカに依存するようになる。
これらの国々は換金作物は作れても、その国の人々が食べる食料は
採算があわず生産することができない。
日本もこれらの国々も同じ状況であるということができる。
しかし、こういった後進国では食糧危機のみならず、
それまで主食を生産していた農家の没落が後を絶たず、
また、農村では主食を買うことができないので(換金作物しか作っていない)
毎日15万人もの人々が農村から都市部に職を求めて流入している。
こうして後進国の都市部ではスラムが増え、不衛生な水を飲まざるを得ない
子供が増え続けている。

しばしアメリカの歴代農業相はこう口にしてきた。
「世界の胃袋を支配することが世界を制覇する最も効果的な手段である」

Aこの状況の中で、昨今のアメリカはトウモロコシを国内のバイオエタノール生産
に利用するようになってきた。いままで食料はアメリカに任せろと言ってきた国が
態度を一転した形である。これに対して日本は畜産用飼料が跳ね上がり、畜産業に
壊滅的な打撃があると考えられる。家畜用の食糧危機であるなら草食にシフトする
など打開策は考えられるが、後進国の場合アメリカから輸入した穀物の7割は人間の
食料になる。こういった国での穀物の値上がりは人々を飢餓に陥れることになる。
しかし、2000年度ではアメリカ国内でバイオエタノールに利用される
とうもろこし量は生産量の6%程度であったのに対して、
2006年度になると20%となり、来年度は50%に急上昇するといわれている。
これを受けて日本の養鶏用の飼料の仕入れ値は1.5倍になっている。
畜産業が養鶏、養豚と順を追ってつぶされていくだろうといわれる。

Bこれに対して、日本はこれからどんどん食料を輸入すれば済むのであろうか。
そんなに単純な問題ではない。
日本が世界から食料を輸入することで
日本の食料問題はとりあえず何とかやり過ごせる。
しかし、それによって日本は世界の食料を奪い、
また、その食糧生産のための水や土地を奪う。
現地の人が食べるための食糧を作ることもできる土地を日本向けの食糧生産に使い、
その結果日本では大量の食品廃棄をしているのが現状である。
日本で牛丼1杯食べると世界から2000Lもの水を取り上げたことになる。
これによりアメリカでは灌漑用の地下水がなくなっていき、
将来的に食糧生産を続けられるか不透明になっている。
また、日本人が肉を食べることで、牛肉1kgあたり11kgもの飼料を食べたことになる。
世界には一人当たり300kgの穀物を食べる余裕がある。しかし、先進国の人間が
こうして肉ばかり食べることでその余裕がなくなっていく。
(とはいっても先進国が肉食をやめたところで経済的な問題から後進国の人々は
食事にありつくことができない。)

Cと同時に、現在の食糧生産の体制というのは環境問題を鑑みても問題がある。
大規模化せざるを得ない農業では、大量の地下水をつかい、水を干上がらせている。
また、地産地消ではなく国ごとに食糧生産の分業を行うことでフードマイレージ、
すなわち食糧輸送にかかるエネルギーコストの問題もある。
理想的にはその土地の食糧を食べることであるし、食料自給率を上げることが
世界の食糧問題の解決につながるのである。
また、私たちはもっと自分の選択肢が狭められ、資本に搾取されていることを
考えなければいけない。
私たちはスーパーに行って買い物をする中で、ほとんどの食品が大手の一部のメーカー
のものになっていて、私たちには選択する余地がない。日本はまだいくつかのメーカー
が競り合っている状況であるが、アメリカでは熱するとフィリップモスリーの傘下で
いくつかの企業が営業しているという状況である。
私たちは不健康なものしかないスーパーで
不健康なものを選ばざるを得ない状況になっていると言っている人いる。
不健康な職場で資本に搾取され、家に帰ってくるとスーパーで選択の余地のないものを
買わされて搾取されている。
こうした現状ではマクロにもミクロにも問題がある。


Q&A
Q.アメリカにとって農業は主要な産業であり、収入源である。
 アメリカ農業は今後地下水が枯渇して灌漑水を手に入れるのが困難になるといわれている。
 政府としては灌漑水を海外から輸入するコストを考えると農業を推進するのを
 やめてしまう可能性も考えられるが、これについてどうお考えになるか?

A.アメリカ政府自体は農業では赤字を出している。それでも支援を続けてきたのは
 選挙民対策。特に共和党の選挙民は農家、自動車メーカ、軍事系といった古い支持母体であり、
 (民主党はIT、?、?、軍事)力を持ってくると考えたから。
 だから、農業で利益を上げるためにどんどん大規模化を支援してきた。
 今後ITなどもっと力になる産業に力を入れ始める可能性もあり、
 そうなってくるとどうなるかはわからない。
 ただ、地下水が枯渇してしまった場合は、やはりまだ灌漑水を利用できる地域に
 大口農家を移動させて続けるのではないか?


Q.今後第3世界に対してどのようなアプローチをしていけばよいか?
A.自給率upに貢献するべき。その為に農業をするのに必要なインフラを整備する。
 また、フェアトレードに関しては換金作物を取り扱うのは良くなく、途上国がつくった
 余剰作物をフェアトレードで扱うべき。 
 

Q.農業の法人化に対してどうお考えになるか?

A.(答えをよく聞いていなかったので趣旨が違うかもしれない。)
 農業を企業でやっていこうと考えているのは現状では土建屋さん。
 それ以外の企業というのは農業自体があまり利益が出ない産業なので
 手を出さないのではないか?

Q.政府に対してどのような政策を要望されるか?
A.????(アンケートを書いていて聞いていなかった)





 環境・持続社会研究センターの理事でいらっしゃる佐久間さんは、
アメリカンウーマンのような、MITのあの女教授のような軽快な口調で
ショッキングな話を次々とされていた。あのペースで次から次へと
ためらいもせず60分間話すことができるというのはよほど常日頃から
この問題に対して考えていて、問題意識をもって行動されているということ
なのだと感じざるを得ない。(下の1分間スピーチを見ると想像できると思う)
本当に切迫して、また、ハートフルな講演で、
この講演の内容を残しておきたくなった。
そして僕を含め今後の食糧・格差の問題に対して関心を持ち、
イメージだけでなく正確な把握をする人が1人でも増えていけば
現在の絶望的な状況も変わってくるのではないかと思うのであった。
勉強してても誰の役に立つわけでもないが、これからたくさん勉強していきたい。
「環境・持続社会」研究センター
佐久間さん1分スピーチ

蛇足になるが食糧問題が解決するということは人口問題が解決するということであり、
いずれは貧困国での紛争が解決することにもなるのではないかと思う。      
しかしそうならない元凶は政治が資本主義に走り、
世界中の国民をだまして儲けようとしていることにあるのではないか。
今更イデオロギーの話なのではなく、大量生産・大量消費がもてはやされて、
コストカットにばかり目が行き農家のような根本的な生産者にはほとんどお金が行かない
現在の資本主義はもはや環境問題の前に限界に来ていると思う。
これはとある企業の人の受け売りなのだけど。。。。
これからの時代を生きていく人間としていつまでもこういった儲け主義の発想では
時代を生きていけないんじゃないかと釘を刺されたようだった。



10月13日(土)

「農家の話」 農協に卸す際の米価が 従来の1万5000円から引き下げられて1万円になる。 これはそれでも国内最高値の新潟産コシヒカリの話であるが、 米価下落はコメの自由化が進み、関税も下がってくる中で、 米中、台湾などで生産が盛んになってきたコシヒカリが 国内に流入してきたためだと、NHKスペシャルで報じられていた。 実は外食チェーンの中には既に海外米を出している店舗もあるようだ。 知らないうちにすでに輸入米の消費者になっているのかもしれない。 9月の末に新潟に稲、しかも魚沼産の稲刈りの手伝いに行ってきた。 夏に行ったインターンシップで知り合った人の実家で、 長岡の方に田圃を10反ほどもっていて、 コンバインを運転したり四隅を刈ったりと 割合ガチで稲刈りをやらさせてもらった。 思えば農業について考える時間が長い夏であった。 HPの方で告知文を掲載していた環境ロドリゲスのem factory2007でも ぼくがスタッフをやらさせてもらっていた船井総合研究所チームは 有機農業ビジネスプランを考えていっていたし、 インターン中にも会社が持っていた水耕栽培のビニールハウスを見せて もらったり、ホームステイ先で田圃の話を聞かさせてもらったり。 その度に農業というものは厳しいものだと思うと同時に、 食糧生産はなくてはならないものでいま農業について考えることの 優位性?を感じていた。 em factoryでお世話になった船総の方は“今はゴミがもうかる時代だけど、 いずれ近いうちに農業をやっている人が勝つ時代が来る” というようにおっしゃっていて、それは今後世界的に食料の供給不足になる (あえてそうなる?)中で日本の国が自給する必要があることを言っているのだが、 その言葉に肖って農業と環境について思いめぐらせた。
 新潟で作業させてもらった棚田では 1反6俵(360kg) ほどの収穫があって、11万円ほどの卸値で農協に卸す とか。(・・・それが今度からは6万になるということか) それが10反あっても110万の収入にしかならず、 機械や材料、菌の代金を考えると完全に赤字になる。 (コンバインは安くても数百万円するらしく、2条用、4条用、5条用と 後から後から高性能のものが発売し、 また数年で壊れてしまって修理できないので、 この費用がばかにならないようだ。) しかも自分たち4人で手伝いに行って1日で3反しか稲刈りできなかったし、 雨が降った二日目は稲刈りできなかった。  なぜこれほど小口の百姓の状況がひどいのか。 農協がコメを安く買い上げ、 高く機器を売るということはあるだろうが、 消費者がコメを破格の価格で買っていて、 また棚田のコメも平地のコメも同じ価格で買うという 出口側の問題も大きい。 もちろん価値が同じに見えるものに対して同じ価格を払うのは 当り前のことであるけれど、 農家にとっては棚田で農作業することによって 坂の雑草をとる手間がかかり、コンバインを移動させる手間もかかる。 その分山の地下水をじかに使っていておいしいだけでなく、 棚田という天然のダムが日本の山林を守ってきた部分もあるのに、 棚田のコメが非常に安く買いたたかれてしまうので 次第に耕作放棄して田んぼがススキだらけになって日本の山と 山の水を守ってきた田んぼが荒れていく。  また、海外でも日本米と同じ、 あるいは日本米よりも料理にあう米が生産されている。 日本の技術がどんどん流出して、 日本よりも広大な土地で作られるので非常に安価になる。 消費者は価格を見て選ぶし、それは誰にも変えられないが、 値段が高いかどうかなど価値観で決まる面もある。 有機農業ビジネスで成功している人は 、 “有機野菜が高いというのは間違った認識で、 今出回っている野菜が農家の採算を度外視した価格で売られているだけ。 他のものを買う費用を少し食費に回せるかどうかだと思う。”という。 輸入米を選ぶか日本米を選ぶかは農薬野菜と有機野菜とは別の問題だが 消費者の考え一つであろう。  世の中はグローバル化の方向に向かっていて、 トータルとして最も効率がいい生産をすればよいという考えがある。 アメリカで日本と変わらない品質のコメを 日本米の1/3の価格で作れるのであれば アメリカで作ればいいじゃないかという風にも言える。 コメが供給過剰で余りすぎている現状で 米農家を保護するというのは矛盾しているかもしれない。 ただ、船総の方も言っていたのだが、 “もし世界で気候変動が起きて食料が足りなくなったときに、 たとえ日本がその時まだ外貨を豊富に持っていたとしても、 その外貨と引き換えに米中が食料を売ってくれるかといったらそうではない”。 もしその状況で海外の一部の富裕層が “日本向けに食糧を売った方が高く売れるから”と判断してくれたとしても、 それは他国の国民から不足している食料を奪うことを意味するのであって、 決して褒められることではない。 現に90年代頭にコメ不足になった際は 日本は大量にタイ米を輸入して同じくタイ米を輸入していた セネガルの国民を飢えさせた。  今後外国に食料を依存していったとしても日本の農村はどんどん荒れていき、 農業をする人口も減っていき、日本の風土に合った農業技術も廃れていく。 日本が食料を輸入することで海外で喜ぶ農家もいるだろうし 荒れ地が田圃として生き返ることもあるかもしれない。 逆に畑が田圃にかわっていき困る人もあるかもしれないし、 日本が食料を輸入することでものを食べられなくなる国もあるだろう。 そうした中で本当に輸入品に対抗できる大口農家だけを生かして 他を殺してしまうことがいいことなのか。 日本の山が荒れてしまって再起不能になる前に考え直さないといけない、 そう思う夏であった。  手伝いに行った農家の人は “家族の人間においしいコメを食べさせてあげたいし、 継いだ田圃をススキだらけにしてしまいたくない。 それに田圃さえあれば死ぬことはないのだから” と農業を続けている理由をおっしゃっていた。 農業はほとんど趣味でやっているとも言われた。 確かにそういう話を聞いて今すぐに農業を始めなさいと言われても やる決心がつくわけではないし、 農業をやることで もしかしたら日本の山と日本や海外の誰かのためになるかもしれない という動機で始められるものでもない。 それにはまだものや世の中のことを知らなすぎる。 そもそも農業もまた環境破壊の側面もあるのであって、 そんな格好つけてやれることではない。 だから就農の動機を考えたとき、 今後の農家のトレンドは“かっこいい農業”であるべきなようだ。 誰もがやりたい!と思える、そういう農業に向けて動いている人を何人か聞いた。 それもそうだし、今後農家が儲かるビジネスモデルができていいのではないかと思う。 どの農家が作った米も同じパッケージで売られてしまう 今の農協のやり方とは違うモデルが農家を生かしていくのではないか。    効率の悪いものは淘汰されていく時代ではあるけれど、 効率の悪い棚田を経済性だけのためにつぶしてしまうのは もったいないと感じる。  
   ちなみに手伝いに行った新潟の農家では    農薬をほとんど使わず(雑草の処理に少し使うらしい)、    菌をまいて稲の実以外の部分を堆肥化して養分にしているらしい。    こんなところに菌が役だっているのを見て微妙に嬉しくなった。    水耕栽培所では農薬は殺虫の為にだけ使うらしい。    水に必要な養分だけを溶かして育てるから    非常に成長が早く効率がいいとか。    ただ、熱がビニールハウスにこもってしまうので、    生育環境を調節するのが大変であるらしい。    国立のレストランで店内で水耕栽培している店があった。    ついでに夏休みにサークルの引率で    茨城の守谷のほうにも農業体験をしに行ったのだが、    そこでも有機農業をやっていた。     その農場では植物の茎などを液肥にしてまくことで    かなり自然に近い状況で野菜を育てることができ、    ほとんど手入れしなくても育てられるらしい。    (雑草の除去に関しては雑草が生えてこないようにするために    黒のビニールシートで畑の一部を覆っていた。)    自分のサークルのイベント参加者以外にも学生が10人ほどきて    農業をしていて、農業に興味のある学生は多いのだなと改めて感じた。      有機・低農薬といってもいろいろな形がある。    環境にも農家にもやさしい農業・肥料・菌を研究する仕事に就きたいなと思う。   



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